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二次創作とか下ネタとかホモばかり話します。

怒りを吐きながらも、遊戯王ARC-V が見捨てられない話

遊戯王ARC-Ⅴが大好き

 遊戯王ARC-Ⅴ129話「覇王の片鱗」を観ました。今回も遊戯王ARC-Ⅴ(は面白いですね。

 

すいません、少しだけ嘘つきました。

前半は面白かったけど終盤で若干怒りが噴出しました。

 

 約三年間、私は遊戯王ARC-Ⅴをリアルタイムで見続け、この作品を愛してきましたが、第129話にして

「あ、これ作品への不満を小出しにしないといずれ本気で遊戯王ARC-Ⅴが嫌いになるな」

と直感で感じてしまったので、今回はブログらしく、私の感情をそのまま吐き出し、1ファンとして遊戯王ARC-Ⅴ(以下、アークファイブ)で感じた問題点と、

それでもなおアークファイブへの愛が変わらぬということについて語りたいと思います。

※アークファイブはあまり自力でスクショを撮っていないので、この記事に張り付けるスクショは殆ど無いです。前回のモンスーノ記事と比べ見栄えはよくありませんが許してね

 

 

129話「覇王の片鱗」(ネタバレ含みます)

 アークファイブの物語は、いよいよ核心に迫ってきました。

一年目から語られてきた「なぜ柚子は生まれた時からブレスレットを持っているのか」「なぜ遊矢とユートは統合したのか」「なぜ世界は四つの次元に分かれているのか」といった謎が徐々に解明されてゆき、

ついに総決算ともいえる赤馬零王との決戦」に決着が着く…筈でした。

正直、ここ最近の展開や伏線の回収は非常に熱く、「これだよ、俺が求めている遊戯王は!」と喜びながら私はテレビにかじりついていました。

 

 そしてこの129話「覇王の片鱗」も、今まで仲間たちを引導する役割を背負っていた赤馬零児が初めて本格的に追い詰められ、それでも遊矢を信じ続け、

一方己の中に潜むズァークを抑えようと奮闘する榊遊矢の姿が熱く、ランサーズの絆の強さを確信できる物語でした。

 デュエルの内容も、全力で立ち向かうランサーズの二人を赤馬零王が次々にいなす姿は敵ながら魅力にあふれ、二年間ただ玉座に座ってた人と思えないかっこよさでしたね。

 アクションカードの使い方は賛否ありますが、「遊矢が自分を見失っていない」ということを視聴者に伝える指標に使ったのは、個人的には結構いいなと思っています。

 

が、後半から雲行きが怪しくなっていきます。

 

 柚子たちの危機を前に、遂に怒りに囚われてしまった遊矢。圧倒的火力を持つ「オッドアイズ・レイジング・ドラゴン」を召喚したのを皮切りに、悪魔、ズァークが表出してゆく…

 そして仲間である赤馬零児もろとも赤馬零王を葬り去ろうとしたその瞬間、

 

まさかのデュエル強制終了。

 

 遊矢の父、榊遊勝が息子の身を案じ、零王から託されたカードで物理的に遊矢を拘束し始めます。

その際使用したカードが不正カードとして検出されたため、赤馬零王にとどめを刺すことも出来なくなり、デュエルは有耶無耶になったまま終了。遊勝は姿を消し…

この回は幕引きとなりました。

 

 せっかく盛り上がっていた勝負をまさかの主人公の父が水を差す姿に、おっさんフェチの私でさえ笑顔が消えたのですが、私にとって本当の問題はそこではありませんでした。

 この回を観終わって一番最初に感じたのは、「ああ、またアークファイブは魅力を一つ、捨てたんだ…」という無常感でした。

 

アークファイブの思い出

 にわかで申し訳ありませんが、私にとってアークファイブは、初めて第一話からリアルタイムで追い続けていた遊戯王でした。

(初代は原作+当時のアニメ知識程度、ゼアルはⅡから、5D'sは現在レンタルDVDで追っている最中でGXは残念ながら未見なので、あまり胸を張って遊戯王ファンといえる経歴ではありませんね…)

 榊遊矢がただデュエルに勝つだけではなく、人々を笑顔にする「エンタメデュエル」を追い続ける物語は、「戦いの先にあるものを見つめる」という、私にとってかなり好きなテーマで、

アクティブに動く遊矢が個性豊かな仲間や、さらに輪をかけて個性的なライバルらと切磋琢磨する初期アークファイブは、日曜日の楽しみでした。

 

 特に好きなのが、「権現坂VS刀堂刃」の回。当時OCG初心者だった私にとってガチガチなXセイバーの動きは恐怖以外の何物でもなかったのも一つですが、

何より、権現坂昇が圧倒的な戦術を前に「不動のデュエル」を崩すことなく立ち向かう姿がとてもかっこよく、私が本当にアークファイブと好きになったと同時に、アークファイブ最初の推しメンが決定した瞬間となりました。権ちゃんいいよね…

 

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 その後もアークファイブは、沢渡さんのリベンジ戦素良と黒咲の容赦ないデュエルなど神回を経て、次元戦争を阻止する物語に移行します。

 

 そして、過去作のキャラが出演することで注目を浴びた「シンクロ次元編」が開始。約一年に及ぶ大長編ですが、ここら辺からアークファイブは「伏線を放り出して新キャラや過去作のオマージュを優先する」「視聴者が期待・予想するデュエルとは違うものが放映される」という問題点が露出してきました。

 シンクロ次元編は良くも悪くもシンクロ次元にフォーカスを当てすぎたために議論の的となっていますが、私自身は結構好きです。

 クソどうでもいいですがここら辺でアークファイブ第二の推しメンがセルゲイに決定したのもあり、この時点で私はめちゃ元気でした。セルゲイいいよね…

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 そしてエクシーズ次元編を経てGX、ZEXALのキャラも出演し、更にアークファイブは過去作キャラ総出演のお祭りアニメと化す…筈だった!(詳しくは次項後半で指摘します)

 

多くの物を捨てたアークファイブ

 私がアークファイブの魅力の一つに「個性的なデュエリストたち」が挙げられると思っています

 エンタメデッキで駆け回り、対戦者も観客も笑顔にしようと奮闘する榊遊矢や、不動のデュエルを貫きつつも遊矢の理解者として常に傍らにいる権現坂使用するデッキの変貌がエンタメデュエリストとしての成長を伺い知れる沢渡など、

アークファイブは「キャラの生き方とデュエルがリンクしている」と思います。

 これは、遊矢がただ勝利を目指す存在ではないアークファイブだからこそ出来る魅力だと思いますし、初期のLDS三人組やシンクロ次元編の227やシンジ、セルゲイや姑息なロジェ、タイラー姉妹やB.Bなど、

個性的な敵役が生まれたのも、彼らの生き方を反映したデュエルがあったからこそだと思います。

 

 ですが、今彼らはどこに行ったのでしょう。

LDS三人組の記憶改変の件は?別次元に送られたロジェ長官の伏線は?セルゲイの不透明な死の真実は?

 敵役どころか、融合次元編に入ってからは、「兄を失う悲しみを背負いながらも、任務のために因縁の敵と手を組む月影」「エンタメデュエリストとして活躍する沢渡さん」といった味方キャラの戦いすら切り捨てたりフェードアウトする始末。

 

 もちろん、物語が終盤になるにつれ、主要人物中心の話になるのは致し方のないことだと思いますが、

せっかく過去キャラを出してお祭りアニメのような楽しみ方をしていたのに、急に彼らを締め出すのは、あまりにも酷ではないでしょうか?(追い出し方も、お世辞にも丁寧とは言えません)

 

 それでも、赤馬零王の登場と真実が明かされる事によってメインストーリーがようやく動き出した安心感と高揚は尋常ではなく

「まあ、後はメインキャラがうまく物語を動かしてくれればいいか…」という、若干諦めの入った着地点も見つかったことで

私は毎週Twitterに流れてくるアンチ勢の文句に胃を痛めることもなく華麗にスルーし、ここ最近は花園にいる感覚で楽しんでいました。

 

 が、129話のラストはその安心感すら打ち砕き、

「メインキャラが頑張っても横やりが入るのかよ!!」

というショックでしばらく呆然として、現実逃避の為にサンダース教官の生温かな脱ぎたてブーツに想いを馳せて己の内で暴れるズァークを抑えるのに必死でした。

 

 魅力的なキャラを捨て、多くの伏線を捨て、テンポを捨て、断捨離の末にやっと手に入れた純粋なアニメとしての面白さすら自ら不法投棄する脚本には、長年応援してきた自分でも流石に不満を覚えざるを得ませんでした。

 

 では次回から視聴をやめるか?それは出来ません。

 なぜなら、私はアークファイブはこれら魅力をまだ捨てていないと信じているからです。どんなに私が血を吐いてももがき苦しんでも、次こそは絶対、期待を上回ってくれる…

 傍から見れば、どうしてそこまでアークファイブにこだわるのかと嘲笑されてもおかしくはないでしょう。しかし、私はアークファイブを無下に捨てることができなかったのです。

 

 私の脳裏に浮かんだのは、高校時代の苦い思い出でした。

 

母と遊戯王アークファイブ

 少しだけ、自分の話をさせていただきます。

私は高校時代、いわゆる落ちこぼれで、毎日母親を困らせては喧嘩を繰り返す日々でした。

 今はそれなりの大学でそれなりに努力できるまっとうな人間に一応なれましたが、どん底から這い上がれたのは、何よりどんなに落ちこぼれても見捨てなかった母の存在でした。

 母は「娘は才能がある。それを活かせない日々を送っているから怒っているだけだ」と一貫して私を信じてくれました。才能、なかったよカッチャマ…

 

才能を、内に秘めた可能性を信じ続け、裏切られてもなお次こそはと愛し続ける苦しみ。

私がアークファイブで痛感した事と、高校時代の母の苦しみは同じでした

 *1

 

厳しい現実でもなお

 ここまで記事を読んでくださった方は、私がどれだけアークファイブが好きで、どんなに裏切られてもいまだに信じ続けようとしている、かなりしょうもないオタクなのかをご理解いただけたかと思います。

 ですが、アニメはファン一人で成立するものではありません。多くの視聴者がアニメを観て、「今日も面白かったね」「来週の展開も楽しみだね」って話し合うことで、

需要が生まれ、応援され、ブルーレイが出て、買う人が現れて、健全なコンテンツの成長に繋がります。

 胃を痛めながら「次こそは…」ともがき次週の宣告を待つのは、正しいアニメの楽しみ方ではありませんし、そんなコンテンツから人が離れるのは当然です。

 

 ファンは無力です。一つのアニメが闇に堕ちてゆくのを、ただ眺めることしかできません。

応援や意見メールを送るなど、微々たる事は出来ますが、それがどれほどの力になるかなんて知る由もない始末。

 

 それでも、それでもなお、例えファンが一人ずつアンチに変わりスターライト速報の掲示板が荒れゆく地獄を見せられてもなお、私はアークファイブを最終回まで見捨てません。遊矢や、権ちゃんが見せてくれたあのエンタメを忘れられないから。

 そしてアークファイブ製作スタッフさんに、そんな哀れなファンが電子の海の端にいる事を、ちょっとだけでも知ってほしかったなあと思い、この乱文をしたためるのでした。

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おしまい。

*1:母がこの記事を読んだら『アニメと私の思いを比べるなよ!』ってキレると思うので、これを読んでるリア友は、記事の事を母には内密で頼みます…